私が惹かれる生き辛い音楽家たち
こんにちは😃
先日、風車(私たちが普段通っている居場所、通称「ワーカーズコレクティブ風車」、地域活動支援センター)にいたとき、スタッフさんの内の一人と音楽の話題となり、そのスタッフさんはこんなことを訊いてきました。
「藤巻さんの好きなアーティストたちの共通点って、なに?」
なにぶん、急な問い掛けだったので、私はトンチンカンなことを答えてしまいました。
「うーん、そ、それは、死生観について歌ったり語ったりしている点ですかねぇ……。」
死生観?
そう、答えながらも私は頭の中で、
「なんか、違う……。
僕がアーティストたちに求めているのは死生観だけではないかな?……。」
と、トンチンカンな返答をしてしまった自分が少し恥ずかしくなりました。
そのスタッフさんは続けて私に
「藤巻さんの好きなのは、『生き辛さ』について歌っているバンド、アーティストじゃないかしら?」
と、ズバリのところを言い当ててくれました。
そうです!私の好きなバンド、アーティストは「生き辛さ」を我々の代わりに代弁してくれているような人たちなのです!!!
例えば、その筆頭と言えば、
カート・コバーン(ニルヴァーナ)
👆カートは「In Bloom」のなかで、こう歌っています。
そいつは俺たちの心地良い歌が好きな奴
曲に合わせて歌うのが好きで
銃をぶっ放すのも好きなんだ
だが、その意味など分かっちゃいない
どういう意味か分からないのさ
で、俺は「だよな」と溜め息をつく
私が推測するに、ここで指す「そいつ」とは、ニルヴァーナのファンの一般的なオーディエンスたちのうちのひとりであります。
そのニルヴァーナのファンたちが彼らのメッセージを良く理解することもなく、ただ単に音の迫力などだけで曲にノッて熱狂している状態に、カートが「だよな…」と溜め息をついている、のだと私は考えます。
カートは、自分らがコントロールできないところで、彼らが望んでもいないファン層まで勝手にニルヴァーナという「ブランド化された商品」の虜になってしまう当時の状況を予見して嘆いていたのかもしれません。
先見の明がある秀才が故の孤独が垣間見えますね。
そして、次の曲「Pennyroyal tea」では、
みんなと一緒に暇を持て余している
俺はとても酷い格好をしているんだ
くつろいでペニーロイヤルティーを飲む
俺は貧血になった印税(ロイヤリティー)さ
疲れ切って眠れもしない
俺は嘘つきで泥棒さ
と、望みもしない形で売れてしまったことをカートは悲しんでいるかのような歌詞を書いています。
カートは、名を馳せはしたかったけれど、自分の望まない形で有名になるのは拒否するという姿勢を持つが故のジレンマを解決できないまま、94年4月5日、27歳という若さで夭折してしまいました。
その後も彼に惹かれるファンは後を絶たないという事実は、彼にとっては皮肉なことなのかもしれません。
次は日本のアーティスト
👆まずは、フジファブリックの志村正彦。
彼は、かつてのライブのMCで、
大人になるのは抵抗があるけど、自然に大人になっていく人たちが羨ましくもある
と発言したことがあります。
そのMCの後の「茜色の夕日」を歌っていて、彼は想いが込み上げてきて、泣いてしまったのが印象的なシーンでした。
次のフィッシュマンズの佐藤伸治は、ニルヴァーナのカートとはケースが異なり、ある程度は売れることを希求しながらも、なかなか売れなかったアーティストです。
彼のバンド、フィッシュマンズは、結局、最後まで爆発的に売れることはありませんでした。
しかし、バンド・メンバーの柏原譲が脱退することを受けて敢行したステージで極上のパフォーマンスを成し遂げることに成功した佐藤は、そこで燃え尽きてしまったかのように4ヶ月後の99年3月15日に永眠してしまいました。
カート・コバーンと志村正彦、佐藤伸治に共通のしている点は、華奢な体つきからは想像もつかない厳しい情熱を音楽に注いだこと。
そして、人を魅惑して止まない、愛らしいあどけない表情と、真っ直ぐに人を射抜き、真実を見透かしたかのような、ピュアなつぶらな瞳です。
他にも、トム・ヨーク(レディオヘッド)、忌野清志郎(RC サクセション)、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)、大木伸夫(ACIDMAN)らが好みですが、ここでは書き切れないですので、彼らについて語るのは、またの機会ということで。
以上、
私が惹かれる生き辛い音楽家たち、でした。
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👆私が定期的に通っているサードオピニオン会(積極的な対話と減薬による快復を目指す相談会)を主催している全国オルタナティブ協議会のホームページです♪
終わり
感謝🙏
藤巻夢衣™️より🫡✨🌟
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